ぼんやりした子供だった。バレエとピアノと絵画を習っていたけれど絵画以外は母が決めたと思う。塾にも通った。それは父が選んだのかも知れない。他の習い事と違って先生の説明は空っぽの頭にするすると詰め込まれて御三家の滑り止めと呼ばれている高校に入学した。でもその時点で心は壊れ掛けていたのだろう。インプットもアウトプットもできなくなって日東駒専と呼ばれる大学に進んで辞めた。今から思えば場面緘黙症や離人症や過敏性腸症候群に悩まされていた。私自身さえ性格の問題と捉えていたけれど。
十代の夢ばかり見る。その中でも辛い夜に登場してくれる子が居る。端的に云えば優しい印象の子だ。例えば従弟だとか。勝手な想像だけれど母親に丁寧に育てられていそうな子に憧れている。でも私は私で傷付きながら生きてきたという誇りが有る。傷付けながらの方が正しいだろうか。何にせよASDという病名で片付けたいと思う。単に家庭環境が悪かったから今も苦しんでいるでは余りでないか。統合失調症の診断も受けているけれど中途半端なODをした時に幻聴が有ったくらいだ。寧ろシゾイドやスキゾイドと呼ばれているパーソナリティー障害に共感する。でもとも思う。
インターネットが好きだ。特にウィキペディアが好きだ。当時の苦痛が何だったのか淡々と説明されている。決して私だけの話でないと分かる。私より若い私に似た子に手を差し出したくなる。当然に一人の人を助けられるだけの現実的な力は無いのだけれど。知識や経済力が欲しいと思う三十代後半の晩夏だ。