2026/07/14

近況2026

ひそひそ荘で書き散らしたものを振り返ると、一年に一度は近況と題した記事があるので、今年もそろそろやっておきます。近況ノルマだ。

まずは、元気になってきた。元気なあまり調子こいて労働に手を染めた結果ぶっ倒れたりしたが、それでもまあ当社比で元気ではある。接客は向いていないということがよぉく分かったので、バイトは清掃を粛々とやろうと思う。

ブルスカもFFがだいぶ増えてきてTLが賑やかになってきたし、お話相手も出来て、とても嬉しい。ていうかFFって死語じゃないか?相互です、相互。

去年の12月から、しずインで日記をつけるようになり、日記と記事の境界線が引かれて分かりやすくなった。ここ最近は日記も文字数が多くなってきた気がする。いろいろと考えて書きつける余力が出てきたらしい。

創作はあまり捗っていない。プロットを練るのが楽しすぎて本文が書けない罠にまんまとかかっている。しかし作品Aの二次創作ではラフなネタはだいたいやってしまった。作品Bの二次創作デビューの時が来たのかもしれない。ネタは1年前からあるので、あとは書くだけなんだよなあ。その「だけ」がどれほど、という話なのだが。

お絵描きもやりたい、というか、私は漫画をやるべきでしょう。自創作キャラのあんな表情やこんな表情を描くなら漫画のほうが向いている、おそらく。

インプットはかなりできるようになってきた。集中力は30分が限界だが、それでも無いよりはマシ。最近はマンガUPで黄泉のツガイをほぼ毎日読んでいる。

こんなところか? 来年の私はどこに立っているだろうか。楽しみだ。


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2026/07/12

私の担当カラー

こんにちは、ハザマです。

みなさんご自身の担当カラーってなんですか?
私は緑なんですけど……(当然あるみたいに話を進めておりますけれども)

まあ遡って紐解いていきましょう。
わたくし3人きょうだいの末っ子なんですけれども、上から青、赤が割り振られてたわけですよ。それで次に来たのがたまたま緑だったって、それだけの話なんでしょう。紐解きRTA、完!
失礼。もうちょっと掘り下げましょう。
一番わかりやすいのは歯ブラシですかねー。替えの歯ブラシをストックしておいてくれるわけですよ、母が。多分メーカーとかはこだわりないので急に全然違うデザインのものが入ってるときも多々あったんですけど、基本青と赤と緑が入ってました。そう考えると母は歯ブラシを買うとき青と赤と緑をせっせと選んで買ってくれてたんですよね。愛おしいね。

あとはお箸かな。
それなりに小さいときはキッズ箸だったと思うんですよ。短くて軽いやつね。あ!?白地にうさぎがプリントされててそれがめちゃくちゃ剥げてる絵が今……脳裏に……
で、ある程度体ができてきたら(?)何本かセットのやつを買ってきてくれたのかな?多分。母って別に「買ってきたよー」とか言わないで生活用品をいつの間にかアプデしてくれてて、本当にありがたい存在ですね。
これがまた青と赤と緑が割り振られました。その3色がちゃんと入ってるやつを選んできたのか、何色か入ってるやつを買ったらたまたま入ってたのかはわからず。今度そういうの意識してたか聞いてみようかな。(イマジナリー母「なんも覚えてない」)
ただ、今はなんか黄色になってます。家を出てしばらく経つうちにまたボロくなった箸の代替わりがあり、これでいい?と黄色があてがわれて、別に私自身はこだわりないよーと思ったものです。
なんなら、今はその家に属してないのだから客人用のお箸とかでもいいのにね。家族のお箸は家族のお箸として用意してくれる母に感謝!母に感謝の日記になってねーか?
食器を個人のものとして使うのって属人器という文化で世界的にはけっこう珍しいらしいですよ。それ知ったときえ〜〜〜そうなんだ!?いやなんか……考えてみたらそうかもね!?!?と思ったねー。
ちなみに味噌汁用のお椀は3人同じものだったので区別されてなかった。お茶碗はイラストで区別されてました。だから確か自分で選んだんだな。あー楽しいねー。食器選びってねー。

それで、まあ申し上げました通り担当カラーという概念は家の中の話なので、別に外でわざわざこんな話しないじゃないですか。うちの中では私のものって緑なんだよねーとか言われたらつまんなすぎて逆に曖昧な笑み浮かべちゃうよ。
しかし!友人たちとの話で、担当カラーの話題が出たとき(※オタク特有の文化のため、理解しようとしなくて大丈夫です)、なぜか私に緑が割り振られたのである!!
もちろん家族内で割り振られた緑と友人内で割り振られた緑の意味合いは違うと思うんですけど、結果的に色は見事に合致。
割り振られた側の私がその理由を説明することは一生できませんが、家の中で緑を割り振られて生活してきた私が、家の外の人間に感じられるような緑の要素がいつの間にかできていたということなのでしょうか。不思議なことですね。そういうこともあり、私はけっこう緑を気に入ってるんですよ。

全然青を割り振られたときもあります。それはそう。

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2026/07/05

翻って滅びる

色々な検定の二級を集めたいという記事を過去に書いた。半年前かもっと前か。ASDの特性の一つで時間感覚が定かでない。でも私は英語検定二級の面接から逃げてSEO検定三級を受けたりしている。人と話すことが怖いのだ。筆記試験だけのTOEICやHSKを受けようかと思うものの英語検定や中国語検定という字面は可愛い。とても可愛い。因みにSEO検定も二級を受ける予定だ。一級より可愛いでないか。


在宅での就労継続支援は新しい事業所に移って続けている。相貌失認でも在宅という形でならば労働できるかも知れない。就職は難しいかも知れないけれど。相貌失認もまたASDの人に良く見られるらしい。級友の顔どころか父母の顔も分かるか自信が無い。主治医は眼鏡を掛けていたかしら。自分の顔が分からない人も居るらしい。なるほどと思う。私は声や話し方で判断しているかも知れない。


二十代後半に過食を始めてから十年が経った。体重は落ちない。大学生の頃の軽やかな体が懐かしい。夜の総武線に沿って歩くと秋葉原の光に何時も少しの感動を覚えたものだ。流行に逆らうわけでないけれど太っていて体毛も剃っていない。化粧も気が向いたらアイシャドーやリップグロスを塗るくらいだ。私のために。私の家は私の代で滅びるだろう。それもまた良い。

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2026/06/29

ドーナツの話をしよう(なんで?)

こんにちは、ハザマです。
じゃ早速ドーナツの話をしていきましょう。

私は何も昔からドーナツが大好きだったわけではありません。こどものころってミスドへの親しみがあるかどうかがイコールドーナツ好きかどうかみたいなとこあると思うんですが、そういう意味ではうちは全くミスドを買ってこられない家だったので親しみもありませんでした。
高校生になって友だちと帰りにミスド寄る、とかが始まってようやくミスドへの馴染みも生まれてきました。駅前のミスド、サティのマック、ヨーカドーのポッポ……美しい思い出……(そうか?)
今全部ないです。悲しっ。駅前のミスドなんか卒業して間もなくくらいか高校生のうちだかくらいに潰れてたしな。駅前のミスド潰れるってどんだけ過疎ってんだよと散々文句言ったな。

ただあれですよ。ミスドより先にヤマザキパンのケーキドーナツね。これバカみたいに食ってたね。怖いね〜。そりゃこんだけ太るわけだよね。
あれ4つ入ってるの全然4ついけましたからね。胃強(いつよ)。君たちとはまずつくりが違うんですよ。はい、みなさまにおかれましてはそのことでいかにも自分が上みたいな態度を取られてましても、ブクブク太ってるあなたが下の立場ではございませんでしょうか、とお思いのことでしょう。おっしゃる通りでございますね。わたくし人のことを笑わない理性を持ちながら食べることへの理性が欠如した人間でございます。

そんなこんなでそこそこ大人になったくらいから「私ってけっこうドーナツ好きだな?」という自覚が芽生え始めたわけです。これね〜似た感覚の人がいるのか知らんけども、甘党じゃないので、とにかく甘いものとかデザートが大好きなわけじゃないんですよ。それよりは断然ごはんが好きなんです。
ただ、甘いものの中でも優しい甘さのものはだいぶ好きで、わかりやすいところだとホットケーキ、ドーナツ、カステラあたりになるんですね。そうね。生地ですね。糖質大好き!
揚げ物も好きだからドーナツなんて好きになって然るべきということでしょうか。でしょうかと言われましてもね。

都内のなんか知らんがチョト有名なドーナツ店のドーナツとか食べてみたいけど並んでまで食べたくない。あれよ、ミスドくらいの列ならいいよ。そういうとこってそんなんじゃないからさ。狭いっつーのにさ(都内の8割は“狭い”です。これは本当です)。まあミスドくらいメジャーになって店舗数があればそりゃ行列もミスドくらいで済むって話なんだけどさ。
でもなんかみんな好きなんだよね話題のものって。並んででも手に入れたいんだよね。私はね……無理だね……並んでる間にかく汗で雨が降って虹が出ちゃうしね……。

あ、クリスピークリームドーナツもいいですよね。ミスドにはさすがに及ばないけどそれなりに店舗があって買いやすい。ただここのドーナツがあ〜〜〜んまい。それがいいというのももちろんある。でもやっぱ、身近な、すぐ食べたくなるのってミスドだなと思っちゃいます。

ジャックインザドーナツは知ってますか?ここのドーナツはいいですよ。ミスドとはまた違うんだけど、食べやすい。見た目がたまにイカれてるけど味が普通においしいのが嬉しいんだよねー。ただ惜しむらくは店舗が少ないことですね。見かけたらぜひ食べてみてほしいです。ギャラクシードーナツを。

最近出てきたランディーズドーナツはね〜、なんか期待してたほどじゃなかったんですよね。見た目のインパクトに味が全然負けてる。あの見た目ならもっとガツンと来てほしいのよ。食べてみたら「え?おまえってこんなもんなの?」って味。そんな感じなのにカロリーだけ爆発してるんだからおれの食事の回数がもったいないよね。まあまだ3つくらいしか食べてないから、もしかしたらまだまだポテンシャルを秘めたメニューがあって私が相まみえてないだけなのかもしれない。3戦くらいまでは受けて立ちましょう。

スタバはドーナツ屋さんじゃないけどドーナツがうまいんですよ。生地がけっこうもっちりしてるんですね。ケーキまではいらんな〜くらいの人におすすめですね。
あとこないだ出会ったオリジンドーナツ!あれはいい。すごく素朴。素ラーメンならぬ素ドーナツという感じ。あれもぜひ一度味わってみてほしいね〜。
みなさんのおすすめドーナツ情報(※手軽に買えるものに限る。手軽に買えてこそ嬉しいドーナツだとわたくしは思っております)お待ちしております。

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2026/06/13

ままならない

そういえば一昨日は久しぶりにひとりで行動したのだが、昼をサンドイッチひとつにしたらさすがにちょっと量が足りなくて3時頃にはもう腹が減っていた。そして、そういえば一人暮らししているときって起きてる時間の半分くらいは空腹感を抱えながら生活していたなあと思い出した。しかし元の体重が健康体重以上あったので、とくに問題はなかったのである。

で、今デブった原因の薬剤を中止したにもかかわらず全然体重が減らないのってもしかして親に食わされすぎてるのでは?!と気がつき、ちょっとメシ減らしてくれや、と注文した。

いや、ありがたいんですけどね。本当に。愛は感じる。でも今欲しいのはそれじゃないんだよな、ということを伝えられる良い家庭です。

私は共産主義とも社民主義とも決心がついていないふんわりリベラル左翼なのだが、とりあえず現代資本主義への反感と保守派への嫌悪感はとてもある。なので、資本主義のカスエピソードと保守のカスエピソードが出てくるたびにキッショ!と口にするのだが、親は少なくとも右でも保守でもないので、許されている。ありがたい話です。

 私がノンバイナリーであることも理解しようと努めてくれていて、とくに母はプロナウンス(ジェンダーが入る代名詞)にも気を使ってくれる。

それでも孤独を感じるのだから、人生ってのはままならない。 なんなんでしょうね。私が安心して眠れる住処はどこにあるのだろう。 そのような住処はもう失われてしまっていて、この世のどこにもないのではないか。そんなことを思うである。

どうしても凍えて死にそうになったら、あなたの家に一晩だけ泊めてくれないだろうか? 

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2026/05/28

もう百年前の話だけれど

例えば知り合ったばかりの人に保険証を持っていないと云われたら。施設を出ていかないといけないとか生活保護を打ち切られたとか医療費も含めて月二十万円は要るとか云われたら。助けたいと思って話を聞いている内に十万円も振り込んでしまった。無職で障害者なのにだ。多分だけれど彼女からしたら友人でもない人に大金を振り込んでしまうことも腹立たしかっただろう。でもずっと考えている。何が最善だったか。

 

ツイッターで貴方を好きでいたいから返していただけたら嬉しいですとリプライを送ったら貴方のパートナーに酷いことをされているとかツイートを消してほしいとか云われた末に訴えるとか誹謗中傷だとか貴方は彼女に永遠の傷を付けたとか絵文字箱にメッセージが幾つも届いた。流石に怖くなって落ち込んだ。同じく絵文字箱から臓器を売るとか死ぬとか云われた時に返さなくて良いですよとラインしてしまったけれど心臓を売ってでも返してくださいねと云えない私は酷いのでないか。例えば私を養い続けている父に対して。

 

在宅で就労継続支援を利用している。稼ぐということは本当に難しいと思う。私を好きな人はどうか金銭でなく言葉を求めてほしい。死ぬという言葉で私の美学や倫理観を歪ませないで。もし私の知らない人の財布を盗んでもきっと嫌いにならないから。良い子で生きたいなんて贅沢だと分かっているから。好きでいさせてね。

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2026/05/26

ずるいよね

こんにちは、ハザマです。
毎日暑くて許せないよね。5月にこんなことを言って、どうすればいいんでしょうか。どうにもなりませんよ。お願いですから夏の間はみんな休みってことにしてくれませんか。

人のことを羨むときに、ずるいって言う人いるじゃないですか。あれ嫌じゃないですか?
言われた側は嫌な気持ちになるし、それで関係性がプラスになることが全くない最悪の使い方だと思うんですよね。
何もずるいという言葉が悪いわけではありません。
ずるをしたらずるいわけです。いや、ずるて。変な言葉。まあこの使い方は、イカサマとか、人を騙して得をする場合の使い方ですね。

誰かを羨ましがってずるいと言うのが嫌のは、もちろん使ってる人はそんなつもりはないのでしょうが、やはりもともとの意味である非難するような印象が私にあるからでしょう。
例えば恵まれた環境だったり素晴らしいご家族をお持ちの方を羨む気持ちはわからないではありません。それをずるというのはやはり納得はいきませんが、これに関しては許しましょう。←誰?
ただ、環境や人間関係でも、努力して得た場合がありますよね。そしてそれに対してずるいという方もいますよね。こちらに関してはわたくし、全くもって許せないことでございます。
あなたがうじうじとおれなんかダメなんだと校庭の砂を指でざらざらして遊んでいる間、その方は自分が生きやすくするための努力をして、その環境や関係を得たわけです。
これがまたね、努力してないように見えるんですよね。なんかいい人だから、いい感じのところに勝手に受け入れられて、いい感じの人が勝手に集まってくるように見えるんですよ。でもそういう感じになるまでにその人はいろんな場を切り抜けてくぐり抜けて耐え忍んでここまで来たということを、5分とかでいいから考えてみてほしい。
家族以外の人間関係ってほとんど自分によって築かれたものですよ。努力して家族を切り離したり、勝手に築かれてしまう他人との関係という例外もありますが。

実は話がちょっと逸れてたんですけど、私が好きなずるいもあるんですね。
これは相手に敵わないとわかってぼそりとつぶやく「ずるい」です。あ〜〜〜〜〜!!!めちゃくちゃ味する〜〜〜!!!いろんな味がしてしばらく噛みしめていられます〜〜〜!!!!!
キモオタでした。さようなら。

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2026/05/15

雪の中を彷徨いながら

私の個人サイトであるコーポ雪原の最初のページには、こんなことが書いてある。

    コーポ雪原へようこそ。ここは、私の管理するアパートであり、私の脳内である。
    雪の中を彷徨うように、日々のあれこれと、そこからの連想を書き綴る。
    ここは誰のことも拒まない。ただ静かに、あなたが訪れるのを待っている。
    ここは去ることも拒まない。またいつか、会えることを願って。

この部分は、昔、サマさんから、私の文章は雪の中を彷徨っているようだ、といったことを言ってもらったのが元になっている。

今も彷徨っているし、そしてこれからも彷徨い続けるのだろう、となんとなく思う。ただ、現在は日記と思想は分けて記事にしているので、どうも合わなくなってきたな、と思った。そこで、こんなふうに変えてみた。

雪の中を彷徨いながら、それでも私は私の道を探して歩きつづける。

こちらのほうが、いまの私を表すのに適している気がする。 

 

雪景色というのは、私にとって特別な意味を持つと同時に、日常の風景でもある。

都会の人工物の多さに慣れてしまうと、田舎はなにもないように見える。しかし、のっぺりとしたコンクリートで敷き詰められた土地は、むしろ単調であるように思える。どこを歩いても似ている。しかし、行き交う者たちの装いの多彩さ、主張の激しいポスターや店の外観、喧騒、走行音、それらはとても私を疲弊させる雑多さだ。

田舎はそういった過剰さがない。ちょうどいいのだ。そして最も世界が単調で静かになるとき、それは雪が降り積もったあとである。 

草木も動物も眠り、世界は白に染まる。私はこの静けさが大好きだ。生き物は誰しも必ず孤独であることを思い出させてくれる。それが当たり前だと言っている。だから安心する。 

海も好きだが、海は海岸沿いでなければ見ることができない。雪ならば、冬になれば必ず降る。

雪は脅威であり、恵みでもある。積もりすぎれば身動きが取れないし建物が潰れる。しかし、北海道のダムが枯れないのは雪解け水のおかげでもある。その両価性が好きだ。

 

ここで筆を置くことにする。これもまた、彷徨うことである。 

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2026/04/04

インディヴィジュアル宗教

この文章は、全ての死にたい者たちに捧げる。


一説に依ると、宗教の定義とは、人間生活の究極的な意義を明らかにし、人間の問題の究極的な解決にかかわりをもつと、ひとびとによって信じられているいとなみを中心とした文化現象である。また、宗教には、そのいとなみとの関連において、神概念や神聖性を伴う場合が多い、とのこと。

つまり、以前ここで書いた「信仰」にまつわる文章は、部分的には宗教的と言えるだろう。しかし、人間の問題の究極的な解決、これについては語りそびれていた。ので、今回はその話をしようと思う。

死は救済である、とは、もはや手垢にまみれた言葉だが、しかし真実の断片でもあると思う。『絶望のきわみで』において、シオランは「精神の存在は、生のひとつの異常だ」と述べている。精神を抹消するには、死ぬしかない。

しかし、全ての死は、全て救済たり得るだろうか? つまり、自殺は自力救済となるのか、ということだ。

民事法には自力救済についての記載があり、何らかの権利を侵害された私人が、司法手続によらず実力をもって権利回復を果たすことをいう。

ここから自殺について語るのはいささか牽強付会にも思えるが、まあ私の思考などいつもそのようなものである。

つまり、自殺とは、自尊心や信頼、希望を傷つけられた者が、その原因となった対象ではなく、自分の命を用いて、自尊心・信頼・希望があったことを主張する行為と言える。お前らの行為は、言動は、人殺しだったんだぞ、と突きつけるのだ。

もしかすると、それは上手くいくかもしれない。

しかし、自力救済は法律では認められていない。私人が暴力によって制裁を加えてはならないからだ。制裁を加えるのは司法の仕事である。

つまり、自殺によって相手を非難するのではなく、社会的に相手に非があったことを認めさせるのが正しいやり方なのだ。

では、現代では自分の命の行方さえ、自分では決められないのか。その通りである。これをフーコーの理論では生権力と言う。自殺は、社会的に認められるものではないのだ。

でもさあ、そんな理屈なんか知らないよ、もう苦しくてつらくてどうしようもない、一刻も早くこの精神を手放してしまいたい、そう思うこともあるだろう。むしろ、そのほうが多いかもしれない。

では、冒頭の問いを少し変えてもう一度見てみよう。すなわち、自殺は救済か。

きゅうさい【救済】 精神的不幸や物質的貧困および災害から、ひとびとを救うこと。(新明解国語辞典 第五版)

精神を抹消すれば、死ぬことができれば、それは救済かもしれない。

だが、少し待って欲しい。死ねば、マイナスはゼロに還元される。それは尤もだ。だが、今際の際に、後悔する可能性はないか? やっぱり死にたくなかったと絶望しながら死ぬ可能性は?

そんな正論もう聞き飽きたって? そうだよな。じゃあ、私の持論を聞いてくれ。

繰り返しになってしまうが、やはりひとは今際の際に、やっぱもうちょっとだけ、あと一時間だけでも生きて、おいしいものでも食べて、きれいな景色を見てから死にたかったと思うような気がするのだ。つまり、死の瞬間にマイナスに振れてしまう。死んだ後は、ゼロにはならない。ただ永遠のマイナスが残されるのだ。この私が生きていたという事実は消せないのだから。

ならば、本当の「救済の死」は無いのか。私は、あると思う。

生きて、苦しんで、苦しんで、苦しみ続けた先に、不意に訪れる不条理な死。これこそが本物の救済だ。

不条理とは神のしるしである。神は人間のように、言語で、物語で世界を理解してはいない。あるいは、物語を理解したうえで裏切る存在だ。我々とは違う世界に住まう理不尽の権化、それが神である。

突然の事故、事件、災害、病。この私が手を尽くしても回避不能の死、それが神が齎した救済の死なのだ。

では、救済されるに値する苦しみとは何か。不条理の苦しみである。

私は物体と権力者以外に怒りを覚えることは無いと言っていい。あるひとはこれに対して、大人びているとか、理性的だと褒め称える。しかし私自身には、これは人間味の欠如としか映らない。プルチックの感情の輪でも、怒りは基本の感情のひとつとして定義されている。その基本が、私には基本と思えない。

おそらく、私は人間というものに期待していないのだろう。期待がなければ裏切りもなく、裏切りがなければ怒りもない。だから、他者に期待を持っている者のことは、素直にすごいことだと思う。私にはそれができないから。

この、およそ一般には理解されがたいと思われる苦しみ、これこそが不条理の苦しみである。自力でこの苦しみを無くすこと、つまり他者に期待を持てるようになることも、もしかしたらできるかもしれない。それでも、今この瞬間から、というのは絶対に無理だと思う。

あなたがまだ未成年で親元から離れられないが、しかし苦しみの原因が親にある場合、これもまた不条理の苦しみである。出生とは、生きている人間にとって最上の不条理である。産んでくれと頼んだ覚えはないし、あんたなんか産まなきゃよかったと宣う親など矛盾この上ない。生殖行為をするのならば、子を産み、育て、ひとりの存在者として生きていけるよう倫理的に接するのが親としての義務である。その覚悟もなく親になろうなど、言語道断だ。

不条理の苦しみ以外の苦しみ、つまり今この瞬間に無くすことができる苦しみ、これは回避・解消するに越したことはない。むしろそれが賢明であり、神の期待に沿う行為である。

例えば、学校の環境が悪い、居心地が悪くて苦しい、これは逃げ出すべきである。テスト的な勉強ならば、自力でも可能である。幸いインターネット上には、さまざまな解説コンテンツが山のようにある。人間関係? そんなもの、あとからいくらでも学べるから大丈夫だ。人生は長い。

人間関係や仕事内容が苦痛で、もうこの仕事を続けられそうにない、いっそ死んでしまいたい。これはすぐさま辞めるべきである。失業手当を貰い、なんとか生き延びたほうが善い。転職できればそれでいいし、どうにもならなければ生活保護を受ければよい。生活保護の水際対策は、日本共産党の者に相談すればなんとかなる率が高いらしい。

神は不条理と変化を好む。常に同じ場所で安住することは許されない。

だから、私は苦しみながら生きるのだ。いつか訪れる救済を待ちながら。

どうかあなたも、私の手を握ると思って、一緒に苦しみながら生きてくれないだろうか。

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2026/04/01

期待が重い

こんにちは、ハザマです。

一応何年か日記を書いてたのでこちらは日記とは分けて書いてる(つもり)んですが、今年に入ってついに日記をサボりだしたのでもうあんまり分ける意味がなくなってきました。
というわけでこないだあった面白いこと聞いてよー!私が勝手に面白がってるだけで話として面白いかはもちろんみなさん次第だよねー!

長きシフト生活をついに終え(別に終えたくて終えたわけではない。転職しただけ)、カレンダー通りの生活になった私は今まで用事ができたらすぐに行けてた役所やら銀行やら郵便局の用事がわざわざ平日休みを取らないと行けなくなったことに辟易していた。ていうか働いてるみなさんほとんどこうなわけでしょ!?おかしくない!?!?まあそれはさておきね……
それだけのために休みを取るのは嫌すぎて延ばしまくっており、友人と遊ぶために取った平日休みのタイミングで、こりゃあチャンスじゃぞいと用事を済ませ、ジジイ化が止まらない私は用事を済ませるのもほぼ朝イチだったので、よーしジジイ喫茶店で一服しながら読書して友人待っちゃうぞᴡと小さめのパンケーキを食べながら2時間弱のんびりしていたわけです。昼飯を食う約束をしているというのに。胃袋だけはわんぱく。

友人は45分着の電車で来ると聞いていたので、45分に改札前に行こうと思っていました。
45分着の電車ってことは改札に来るまでにはさらに数分あるわけで、その前にトイレに寄ることも多いことを知っているから、余裕がある時間設定なんです。
そんなわけで私は30分ごろに会計をして喫茶店を出て、トイレに寄り、40分くらいにまだ連絡が来ていないのを見て駅に歩き出しました(喫茶店が駅すぐのビル内なので5分もかからない計算)。
ビルから出る瞬間またスマホをチラッと見ると「着いたんだけどもしかして現地集合……?」みたいなLINEが。あれ!?45分になってもないんだけど!?!?

大都会TOKYOはどれだけ電車が走っても運ばれたい人間が次々湧いてくるので数分おきに電車が来る仕様上、乗り換えにうまくいくと気づかないうちに“予定より早く着く”ということも起きるわけです。それが起きたわけです。そしてあとから聞いたところ友人自身がそれに気づいていなかったとのこと。
それはまあ起こり得ることですが、なんかすごい「なんでいないわけ!?」と言われるんですよ。おかしいじゃん。さっきまでの説明で私がめちゃくちゃきっちりやってるとみなさんも思いますよね?
「いやだから、余裕あるはずだったんだって、で実際全然遅れたりしてないしね!?」と言ったんですが、「でもハザマは“いる”じゃん。いつもさ。絶対“いる”じゃん」と。妖の話してるじゃん。
今回に関しては私ほんとにミスってないし今話した内容もかなりしっかりしてるほうだと思うんだけど、それでもダメなんだ?と聞くと「うん」と言われた。俺「期待が重すぎる」

私がここまでイジられても全く平気な人間ということは大前提ですよ。いやふざけんなよ笑が大前提として。でも多分、その気持ちが1ミリもなかったらこの会話にはならないじゃないですか。1ミリどころか多分105センチくらいは本心じゃないですか。
次回以降めちゃくちゃ早く行ったるわじゃあ!!とは思わないですよ。私そんな人間じゃないです。でも「まあこの期待を完全には裏切らないように変わらずちゃんとやらないとな〜」くらい思うわけです。
面白い人間でいたいものですね。←結論そこか?

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2026/03/30

考えるために長く眠る

他者は基本的に善人だ。というシンプルな世界観を維持するために例えば自らを加害する人の中にも弱さや傷付きや隠された善性を見付けなくてはいけない。ということを考えて単純なものこそ複雑だという当然なことに打つかってしまった。人を好きでいたい方だ。その方が快適に過ごせるからというだけでなく。

 

どうしてそのようなことを考えているのかと問われると就労継続支援の作業にデータ入力が有るのだけれど手ばかり規則的に動いている内に日頃の疑問や不満が整理されていくのだ。手と脳は連動しているのかも知れない。散歩している時に解決案が浮かぶことも有るから足もか。そして最近は工賃などの関係から他の就労継続支援に移ろうとしている。

 

午前中は作業をして午後はSEOWebデザインについて学んでいる。少し忙しい。HTMLにも少し興味を覚えて「星を売る店」というサイトをワードプレスで作ってみたりした。そのような中で『涼宮ハルヒの憂鬱』を見ている。長門が可愛い。中国語を学び直したいとか小説を読みたいとか思いながら半日ほど寝ている。本当に長く眠る必要が有るのだ。

 

この文章から分かるように私は上手く纏まらない。誰かが貴方は優しい人だと云ったらきっとそのように振る舞うだろう。ところで優しいとはどういう意味なのだろう。

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2026/03/15

3年生

ひそひそ荘も3年目らしい。3年ってすごくないですか? ほぼ毎月書いていたので、私の記事は20もある。

自分のサイト、ひそひそ荘、しずかなインターネット、そしてBluesky。あちこちにさまざまなことを書き散らかしてきたものだ。とある動画で「インプット奴隷」という造語が出てくるのだが、私はアウトプット奴隷である。なにかしら書いて/描いていないと落ち着かない。こんな奴なのにお喋りはマジのガチで苦手なのって謎すぎる。いや、謎でもないか。

お喋りは、私にとっては車を運転することに似ている。白線をはみ出してはいけない、車線変更時はウィンカーを焚いて後方確認、速度制限、車間距、標識……。誤って誰かを轢いてしまうかも、というか雪が積もっていて白線が見えない、どうしよう、どうしよう……。自由はないし、不安ばかりだし、本当に嫌になる。それでも、たまに良い景色を見ることができて嬉しくなる。そんな感じ。

対して、書く/描くことは誰もいないオフロードだ。車を使うこと以外は全て自由だ。いつブレーキをかけたっていいし、アクセルベタ踏みしたっていい! ヒャッホーーーーーー(遥か彼方に走り去る)

ところで、大学まで行った場合、3年生って人生で4回は来ますよね。(急ハンドル)

私は大学4年生までやった後、通信制に編入したので3年生を5回やりました。ウケるね。しかし、入学して何年目かによって学ぶ内容が変わるのってアホくさいですよね。理解して自分のものにする速度はひとによって全然違うのに。この画一性が諸悪の根源のような気がしてならない。もっと自由になれないものか。

てか、記事が20もあったら立派なZINEになるよね。ウワーッ作りたくなってきた! ちょうどインデザ再契約するし原稿だけ作っちゃお! という訳でおれは作業するぜ、あばよ!!

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