播磨屋の聖なる閉業を茶化す流れが、どうにも居心地が悪い。
播磨屋の店主はたぶん本当に真剣なのに、なぜそれを軽んじることができるのだろう。 仕事を辞めてからどうやって生活をしていくつもりなのか、と心配するのが先ではないのか?
店主の主張が荒唐無稽に感じられるからか。病的だと思うのなら、何もできない外野はせめてそっとしておいて、身内なら受診を促せばいい。
なんの覚悟もなく廃業を決めたとでも思っているのだろうか。生きるか死ぬかという極限の精神状態での決断かもしれないのに。それをなぜ笑える。
極端なことを突然決めてしまう状況というのは、往々にして精神が追い詰められて切羽詰まっているときだ。だから私は本気で店主のことを心配している。
自分だけは正気だと思っているのか? 自分はあの店主のようにはならないと思いたいのか? そうであるならば、その思考こそが危ういと言っておきたい。言語を使う存在は、狂う可能性を必ず抱えているぞ。明日は我が身。
いつかおれが聖なる廃業を宣言したら、ちょっとだけ心配してくれよな。
ぼんやりした子供だった。バレエとピアノと絵画を習っていたけれど絵画以外は母が決めたと思う。塾にも通った。それは父が選んだのかも知れない。他の習い事と違って先生の説明は空っぽの頭にするすると詰め込まれて御三家の滑り止めと呼ばれている高校に入学した。でもその時点で心は壊れ掛けていたのだろう。インプットもアウトプットもできなくなって日東駒専と呼ばれる大学に進んで辞めた。今から思えば場面緘黙症や離人症や過敏性腸症候群に悩まされていた。私自身さえ性格の問題と捉えていたけれど。
十代の夢ばかり見る。その中でも辛い夜に登場してくれる子が居る。端的に云えば優しい印象の子だ。例えば従弟だとか。勝手な想像だけれど母親に丁寧に育てられていそうな子に憧れている。でも私は私で傷付きながら生きてきたという誇りが有る。傷付けながらの方が正しいだろうか。何にせよASDという病名で片付けたいと思う。単に家庭環境が悪かったから今も苦しんでいるでは余りでないか。統合失調症の診断も受けているけれど中途半端なODをした時に幻聴が有ったくらいだ。寧ろシゾイドやスキゾイドと呼ばれているパーソナリティー障害に共感する。でもとも思う。
インターネットが好きだ。特にウィキペディアが好きだ。当時の苦痛が何だったのか淡々と説明されている。決して私だけの話でないと分かる。私より若い私に似た子に手を差し出したくなる。当然に一人の人を助けられるだけの現実的な力は無いのだけれど。知識や経済力が欲しいと思う三十代後半の晩夏だ。
2年経ったら二次創作へのテンションも変わるもので、2026年の現在地を記録しておくのも面白いかもしれない。ということで、再び二次創作を題材として取り上げてみることにする。
2年前まではわりとパッション!どっせーい!書けたァ!という勢いしかない感じだったのだが、ぱったりと本文を書く元気がなくなってしまった。しょうがないからネタ出しを延々としていたのだが、そしたらだんだんネタ出しって……楽しい!というテンションになり、ひたすら地盤工事をするひとになってしまった。
幸い締切が発生したことによって無限ネタ出し地獄からは脱した。結果として、プロットを考えると「まとまり」が出る!という気付きがあった。計画ってすごい!
締切が存在しないと書き上げられない存在が今まで謎だったのだが、なるほど妥協のためのボーダーラインなのだな、と思った。
一次創作だと必要なものを適切に配置して~とやりたくなるのだが、二次創作は萌えることが一番なので、読者へのサービスとしての楽しいシーンもわりとすんなり書ける。あと、原作の文体を若干意識することによって文体の舵がブレずに済むのもありがたい。
そう、最近はようやく文体なるものが何なのかが体感できるようになってきたのだ! このバロメータが見えると、書くという行為がますます楽しくなる。
あと二次創作は構造萌えをそれとなく伝えるツールとしてもかなり良い。ただの分析ってあんまりウケないので。おれの解釈を喰らえ!とする手段として、二次創作は便利。
二次創作は既にキャラクターが存在しているので、自分の分身になりすぎないのも良い点ですね。
ひそひそ荘で書き散らしたものを振り返ると、一年に一度は近況と題した記事があるので、今年もそろそろやっておきます。近況ノルマだ。
まずは、元気になってきた。元気なあまり調子こいて労働に手を染めた結果ぶっ倒れたりしたが、それでもまあ当社比で元気ではある。接客は向いていないということがよぉく分かったので、バイトは清掃を粛々とやろうと思う。
ブルスカもFFがだいぶ増えてきてTLが賑やかになってきたし、お話相手も出来て、とても嬉しい。ていうかFFって死語じゃないか?相互です、相互。
去年の12月から、しずインで日記をつけるようになり、日記と記事の境界線が引かれて分かりやすくなった。ここ最近は日記も文字数が多くなってきた気がする。いろいろと考えて書きつける余力が出てきたらしい。
創作はあまり捗っていない。プロットを練るのが楽しすぎて本文が書けない罠にまんまとかかっている。しかし作品Aの二次創作ではラフなネタはだいたいやってしまった。作品Bの二次創作デビューの時が来たのかもしれない。ネタは1年前からあるので、あとは書くだけなんだよなあ。その「だけ」がどれほど、という話なのだが。
お絵描きもやりたい、というか、私は漫画をやるべきでしょう。自創作キャラのあんな表情やこんな表情を描くなら漫画のほうが向いている、おそらく。
インプットはかなりできるようになってきた。集中力は30分が限界だが、それでも無いよりはマシ。最近はマンガUPで黄泉のツガイをほぼ毎日読んでいる。
こんなところか? 来年の私はどこに立っているだろうか。楽しみだ。
色々な検定の二級を集めたいという記事を過去に書いた。半年前かもっと前か。ASDの特性の一つで時間感覚が定かでない。でも私は英語検定二級の面接から逃げてSEO検定三級を受けたりしている。人と話すことが怖いのだ。筆記試験だけのTOEICやHSKを受けようかと思うものの英語検定や中国語検定という字面は可愛い。とても可愛い。因みにSEO検定も二級を受ける予定だ。一級より可愛いでないか。
在宅での就労継続支援は新しい事業所に移って続けている。相貌失認でも在宅という形でならば労働できるかも知れない。就職は難しいかも知れないけれど。相貌失認もまたASDの人に良く見られるらしい。級友の顔どころか父母の顔も分かるか自信が無い。主治医は眼鏡を掛けていたかしら。自分の顔が分からない人も居るらしい。なるほどと思う。私は声や話し方で判断しているかも知れない。
二十代後半に過食を始めてから十年が経った。体重は落ちない。大学生の頃の軽やかな体が懐かしい。夜の総武線に沿って歩くと秋葉原の光に何時も少しの感動を覚えたものだ。流行に逆らうわけでないけれど太っていて体毛も剃っていない。化粧も気が向いたらアイシャドーやリップグロスを塗るくらいだ。私のために。私の家は私の代で滅びるだろう。それもまた良い。
そういえば一昨日は久しぶりにひとりで行動したのだが、昼をサンドイッチひとつにしたらさすがにちょっと量が足りなくて3時頃にはもう腹が減っていた。そして、そういえば一人暮らししているときって起きてる時間の半分くらいは空腹感を抱えながら生活していたなあと思い出した。しかし元の体重が健康体重以上あったので、とくに問題はなかったのである。
で、今デブった原因の薬剤を中止したにもかかわらず全然体重が減らないのってもしかして親に食わされすぎてるのでは?!と気がつき、ちょっとメシ減らしてくれや、と注文した。
いや、ありがたいんですけどね。本当に。愛は感じる。でも今欲しいのはそれじゃないんだよな、ということを伝えられる良い家庭です。
私は共産主義とも社民主義とも決心がついていないふんわりリベラル左翼なのだが、とりあえず現代資本主義への反感と保守派への嫌悪感はとてもある。なので、資本主義のカスエピソードと保守のカスエピソードが出てくるたびにキッショ!と口にするのだが、親は少なくとも右でも保守でもないので、許されている。ありがたい話です。
私がノンバイナリーであることも理解しようと努めてくれていて、とくに母はプロナウンス(ジェンダーが入る代名詞)にも気を使ってくれる。
それでも孤独を感じるのだから、人生ってのはままならない。 なんなんでしょうね。私が安心して眠れる住処はどこにあるのだろう。 そのような住処はもう失われてしまっていて、この世のどこにもないのではないか。そんなことを思うである。
どうしても凍えて死にそうになったら、あなたの家に一晩だけ泊めてくれないだろうか?
例えば知り合ったばかりの人に保険証を持っていないと云われたら。施設を出ていかないといけないとか生活保護を打ち切られたとか医療費も含めて月二十万円は要るとか云われたら。助けたいと思って話を聞いている内に十万円も振り込んでしまった。無職で障害者なのにだ。多分だけれど彼女からしたら友人でもない人に大金を振り込んでしまうことも腹立たしかっただろう。でもずっと考えている。何が最善だったか。
ツイッターで貴方を好きでいたいから返していただけたら嬉しいですとリプライを送ったら貴方のパートナーに酷いことをされているとかツイートを消してほしいとか云われた末に訴えるとか誹謗中傷だとか貴方は彼女に永遠の傷を付けたとか絵文字箱にメッセージが幾つも届いた。流石に怖くなって落ち込んだ。同じく絵文字箱から臓器を売るとか死ぬとか云われた時に返さなくて良いですよとラインしてしまったけれど心臓を売ってでも返してくださいねと云えない私は酷いのでないか。例えば私を養い続けている父に対して。
在宅で就労継続支援を利用している。稼ぐということは本当に難しいと思う。私を好きな人はどうか金銭でなく言葉を求めてほしい。死ぬという言葉で私の美学や倫理観を歪ませないで。もし私の知らない人の財布を盗んでもきっと嫌いにならないから。良い子で生きたいなんて贅沢だと分かっているから。好きでいさせてね。