私の個人サイトであるコーポ雪原の最初のページには、こんなことが書いてある。
コーポ雪原へようこそ。ここは、私の管理するアパートであり、私の脳内である。
雪の中を彷徨うように、日々のあれこれと、そこからの連想を書き綴る。
ここは誰のことも拒まない。ただ静かに、あなたが訪れるのを待っている。
ここは去ることも拒まない。またいつか、会えることを願って。
この部分は、昔、サマさんから、私の文章は雪の中を彷徨っているようだ、といったことを言ってもらったのが元になっている。
今も彷徨っているし、そしてこれからも彷徨い続けるのだろう、となんとなく思う。ただ、現在は日記と思想は分けて記事にしているので、どうも合わなくなってきたな、と思った。そこで、こんなふうに変えてみた。
雪の中を彷徨いながら、それでも私は私の道を探して歩きつづける。
こちらのほうが、いまの私を表すのに適している気がする。
雪景色というのは、私にとって特別な意味を持つと同時に、日常の風景でもある。
都会の人工物の多さに慣れてしまうと、田舎はなにもないように見える。しかし、のっぺりとしたコンクリートで敷き詰められた土地は、むしろ単調であるように思える。どこを歩いても似ている。しかし、行き交う者たちの装いの多彩さ、主張の激しいポスターや店の外観、喧騒、走行音、それらはとても私を疲弊させる雑多さだ。
田舎はそういった過剰さがない。ちょうどいいのだ。そして最も世界が単調で静かになるとき、それは雪が降り積もったあとである。
草木も動物も眠り、世界は白に染まる。私はこの静けさが大好きだ。生き物は誰しも必ず孤独であることを思い出させてくれる。それが当たり前だと言っている。だから安心する。
海も好きだが、海は海岸沿いでなければ見ることができない。雪ならば、冬になれば必ず降る。
雪は脅威であり、恵みでもある。積もりすぎれば身動きが取れないし建物が潰れる。しかし、北海道のダムが枯れないのは雪解け水のおかげでもある。その両価性が好きだ。
ここで筆を置くことにする。これもまた、彷徨うことである。