こんにちは、ハザマです。
先日友人と、ピアノの話になった。その友人がピアノを所持しており、たまに弾くと聞き、私もこどものころに少し習っていた、という話。
小学生の6年間なので、そこまでしっかりやっていたというわけでもないし、習い事が終わったらすぐに感覚を忘れてしまったし、何より私はピアノの習い事にずっと行きたくなかった。この話題のときは言わなかったが。
大人しく座って人の言うことを聞くのが苦手というところが最も出ていたのがここかもしれない。(努力が足りないと言われればそれもあるのだが)うまく弾けないことも嫌だったし、自分にとっては楽しくなかった。
何より、一番嫌だったのが、年に一度あった発表会。うまくも楽しくもないのに、人前に出て披露しなければならないのだ。こどものころの私はおめかしも大嫌いだったから、全てが嫌だった。どうにかして逃げられないかばかり考えていた。
今でも壇上に登ったり複数人の前に立つと頭が真っ白になるのはこのときの体験からだろう。これ以外の理由もあるとは思うが、最たるものはこれだと思っている。
ピアノやめたいと言ったことはある。小学校の卒業まではやったら、と言われた。覚えていないが、しぶしぶ引き下がったのだろう、6年間通っていたということは。あとで聞くと、そんなこと言ったっけと不思議そうに言われた。そんなものだ。
歳をとって、幼い子を見かけると、何かをできるようになったことを、お披露目してもらうのが嬉しいのはなんとなくわかる。
その、友人との会話で、意識せずぽろりと「まあ私がやってたのは家族が喜ぶからってだけでしたよ」と出た。自分でも少し驚いた。
上記のこともあるが、この言葉の持つ大きな意味は祖父にある。幼いころ大好きだった祖父。
私がピアノの前に座ると決まって「ほたるこいを弾いてくれ」と言った。すごく簡単な楽譜だ。曲自体も短い。しかし弾くたび祖父は喜び、私は何度でもほたるこいを弾いた。
これが私がピアノを弾いていて唯一喜ばしかったときの記憶だ。
多分、これがあるから、私はピアノを憎みきれないまま曖昧な気持ちでピアノを見ている。