2024/06/07

大人・二次創作・鬱

 お久しぶりでございます。体調が優れず、だらだらとしているうちに、いつの間にやら一か月以上経っていたようです。

今回は気張らず、だらだらと独り言を呟くように綴ってみたい。

現実ではあまり独り言は言わないタイプだ。会話でも言葉数が少ない。明らかに無口に分類されると思われる。だからかは分からないが、よく大人びていると言われて育った。その度に私は首を傾げることになる。大人のようだ、とはどういうことか。大人とは何なのか。今思ったのは、大人とは余計なことを口にしないのだろう。(私の場合は、必要なことも言えないことがしばしばあるのだが)

人生には、余計なこと、無駄なことが必要だと思うのだ。娯楽なんてその最たるものである。

大人びていると言われることのもう一つの理由として、あまり感情の起伏がなく、表情にも出づらい点があるようにも思う。これは生来の気質なのか、それとも鬱病の結果なのか、どちらもなのか、それは分からないところなのだが。予想外の出来事に遭遇しても落ち着いている、というのも、何も考えていないからだと思っている。怒りも、驚きも、喜びも、自分が予想している未来ともギャップによって発生する感情だと私は思っている。その点、私は未来のことなどちっとも考えず、目の前にやってきて初めて、ああそうなのね、と思う。それだけなのだ。それが良いのか悪いのかは分からないが、まあそういう存在が居てもバチは当たらないはずだ。

余計なこと、無駄なことと言えば、私の趣味の一つに、小説での二次創作がある。これもまた、無駄なものだろう。作品は、媒体に収められた時点で完成している、と私は思っている。だから、二次創作というものは総じて蛇足の極みである。でも、その蛇足がとても楽しいのだ。もしかしたら、こういうこともあったのかもしれない。もしかしたら、こういうこともあるのかもしれない。こういった場面に遭遇したらそのキャラクターはどういう反応をするのか。ある種の思考実験である。

とある人が、二次創作は原作の強度を試す行為であると言ったのを覚えている。どこまで無茶をしても、そのキャラクターがそのキャラクターで在り続けられるのか。なるほど確かに、そういった遊びでもあるのだろう。そう考えると、二次創作とはなかなか興味深い行為だ。

それはそれとして、愛しているキャラクター達に欲望をぶつける行いが許せなくなるときもある。彼らは生きている! だから、こんな暴力的な行いは許されて良いはずがない! ……もちろん、キャラクターは生きてはいない。キャラクターは人形のようなものだ。ぬいぐるみでもいい。二次創作など、お人形遊びのようなものでしかない。それでも、生きた彼らへの祈りをやりたい日もある。そういうときは、そうすれば良いのだろう。

先ほど鬱病という語を出したが、私は鬱病の診断を受けて二年ほど経っている。だから何ということはないのだが、まあそれなりに苦労もある。しかし傍から見ると怠けているようにしか見えないから苦しい。

鬱と言えば不眠、と言われることが多いが、私の場合は眠りすぎてしまう。起きる気力が湧かず、目を開けて何かをする気力も湧かなければ、眠ってしまうのも必然のように思えるが、とにかくそうなのだ。短い覚醒もあったが、最長で丸三日眠ったこともある。

億劫さも長い眠りに拍車をかける。無気力が私にとって一番の難敵だ。これは破滅願望と言い換えてもいいかもしれない。とにかく全てがどうでもよくなる。だが、無為に寝てばかりいるのも焦燥感が募るので、とりあえず趣味のことを細々とやってみるのだが、やるべきことをやらずに遊んでいる罪悪感で潰れそうにもなる。ままならない。

……なんだか辛気臭い話になってしまった。次はもう少し愉快な話が出来ればいいのだが。