2025/04/03

アリアドネは未だ居ない

前回の記事で鏡について少し触れたけれど白雪姫の継母も本当は私は誰と問いたかったのでないかと思った。誰が世界で最も美しいかなんて屈折した尋ね方しかできなかったけれど。淋しい。でも鏡は正直で誠実だったとも云えるかも知れない。原作をきちんと読んでいないので解釈でなく妄想の話だ。

 

私は正直でも誠実でもないけれど空気が読めない鏡だ。でも期待に応えようとしてしまう。孤独な人に最も美しい人は誰と訊かれたら分からないと答えた上で可愛い髪型だねとか思慮深い目をしているとか云うだろう。それが何なのか分からない。貴方の最も綺麗な姿を映してあげたい思う。錯覚でも。

 

私の大半はASDという障害で説明できそうだと思う。言葉の細部の正確さに拘っても人の気持は大雑把にも分からない。日常生活の中で悪意が無くても人を傷付けてきたという罪悪感が強い。反動で他罰的になることも少なくない。鏡の比喩に戻るならば私はやはり他者という鏡が必要だ。でも怖い。

 

声に抑揚を付けたり早口にならないように心掛けたり。或いは適切な表情を作ることで良い隣人になれるだろうか。演技を続けていると私が誰かまた分からなくなる。貴方の期待する私を演じてあげたい。それは好意だろうか。生存戦略だろうか。なんて合せ鏡の迷宮で迷子にならないように英語と中国語の勉強を続ける日々だ。