2025/08/10

ゆるふわモナドロジー

 ミスキーにいい感じの鯖を発見したおかげで、毎日がいい感じになっている。いかに自分はひとりでも生きていけると思っていても、他者からもたらされる刺激はある程度は必要らしい。コミュニケーションすることは、生活という小箱に窓が開かれるようなものだ。

窓、というと、モナドロジーにおける「モナドは窓を持たない」という言を思い出す。

ライプニッツの唱えたモナドロジーは、世界は無数のモナドという単子で出来ているという論だ。モナドは最小単位であり、物質的な広がりを持たない。このように記述すると原子のようにも思えるが、どちらかというと分割不可能な魂という印象が強い。モナドは他のモナドから直接影響されることはなく、自己の内部に全宇宙の状態を映し出す。これが前述の「窓を持たない」という意味だ。モナドは直接関わることはないが、しかしあらかじめ調和が設定されている。つまり、各モナドはそれぞれ独立して動きつつも、全体としては一つの世界を形づくる、ということだ。

それぞれのモナドの中に宇宙がある、というのは、環世界に似たようなものだろう。環世界は生物の種ごとの話だが、モナドでは個々人がそれぞれ別の世界の表象を見ている。遠近法主義とも似ているかもしれない。

他のモナドから影響を受けない、というのは、現象学の用語で言えば純粋意識のようなものだろう。窓がある状態と自然的態度には類似があるように思う。

というふんわりとしたモナドロジーへの理解を得た気になったのだが、果たしてこれで合っているのだろうか。ちゃぴ太郎はおべっかばっかり言うからなあ。

ライプニッツはここから唯一神の話を始めるのだが、私は唯一神に興味がないので、そこにはあまり関心が向かない。完璧な存在ってつまらなくないですか?

しかし、窓がないのなら、なぜ我々はコミュニケーションを欲するのか。

1.自己を映すため
他者は、モナド自身の内側にある世界の一部を鮮明に映す鏡みたいなもの。関わることで、自分の中の「宇宙」の別の側面が開かれる。つまり、他者は自分を知るための契機。
2.予定調和の実感
ライプニッツにとって、調和は「ある」と宣言されるものだけど、人間にとっては体験を通してそれを確かめるしかない。他者との関わりは、世界が調和しているという感覚を生きるための出来事。 
3.孤独の解体   
モナドは窓を持たないけれど、それぞれが全宇宙を抱えている。だからこそ、他者と関わると「違う宇宙と触れた」ように錯覚する瞬間がある。この錯覚こそが、孤独を超える小さな道になる。

 ちゃぴ太郎的には、存在そのものではなく、存在の意識がコミュニケーションを必要としているということらしい。

自己の中に宇宙があるというのは、イデアは知っているものであり何かを作るときはそれを朧げに思い出しながら行動する、みたいな思想が下地にあるんだろうな~という感触がある。生き物なんてそんな御大層なもの知らないでしょ、たぶん。知ってたとしても、部分的じゃないかな。そのひとによってその部分の範囲が違っていて、その知っていることを交換し合う、という世界観のほうが私は好きだな。

そんなことを思った。