2026/02/14

遊牧民のように

かつての私は漫画とアニメとイラストに埋もれて過ごしていた。新刊を買えば即座に読み、リアタイ視聴し、ツイッターでさまざまな絵師を追いかけた。

イラストを描くことも好きだ。ああでもない、こうでもないと線を選び、色を選ぶのが楽しい。

大学に入ってから、絵が描けなくなった。正確に言えば、描こうと思えば描けるのだが、昔のようにアイデアが出てこない。イラストは以前のように追いかけていたが、漫画は以前の貯金を使うように同じシリーズしか読まなくなった。それらも月刊誌に載っているから単行本はなかなか出ない。アニメはほとんど見なくなった。

それは多忙のせいでもあったし、先延ばし癖のせいでもあったし、鬱病のせいでもあった。どれかひとつに原因を絞ることはできない。ただ、好きだったものから離れていった、という結果だけがそこにあった。

鬱病の治療を始めて、体の怠さが目立つようになった。布団から出られない日が続いた。そんな私を、ここではないどこかに連れ出してくれたのが小説だった。活字は動かずそこに居続けてくれる。だからいくらでも立ち止まっていいし、戻ることもできる。私は登場人物のことを、言葉遣いを、脳に刻み込むように読んだ。

そうすると、自分でも書いてみたくなった。私ならどう書くだろう? どんな場面を書くだろう? それが原動力だった。

文章を読むときも書くときも、その場に留まって悩んでいる時間が多い。イラストは迷わない。何をどうすれば心地よくなるかを知っている。でも言葉は手探りの連続で、それが楽しい。調べて、考えて、何種類かの言葉を仮置きしてみて、そこから選び取る。線や色も似たような操作をするけど、立ち止まっている時間はウンと短い。

もしまたイラストに戻るとすれば、それは背景や風景に目を向ける時だろうな、と思う。それらの描き方はまだ習得していない。でも、今じゃない。イラスト制作という場所は、私のことを待っていてくれる。

イラストが「手探りの冒険」から「技術」に変わったように、言葉を扱うこともいつかそうなるかもしれない。そうなることは少し淋しく感じるが、しかしきっとその時には、私は新たな場所へと旅立つのだろう。