2024/03/29

私から見た“ひそひそ荘”

 



はじめまして。ひそひそ荘に入居させていただくことになりました「なのるなもない」と申します。


厚かましくも、面白そうと思ったひそひそ荘に、友人のハザマさんを介して入居させていただくことになりました。

ご許可いただいたEs様、ブローカーになっていただいたハザマさん、ありがとうございました。


さて、おそらく未だ書かれていない(かもしれない)外部的な“私から見たひそひそ荘”の感想?を、入居に先立ち記しておこうと思いました。たぶん、今しか書けないので。

私の主観ですし、少し長いかも知れないです。けれども、ご興味があれば読んでみてください。読まなくても良いかもしれません。


ひそひそ荘を遠くから眺めていた時の感想は「人類の進化の結晶…」とそれに連なる「面白そう…」でした。


人類の進化の結晶だと思った理由はおおまかにふたつ。

ひとつ目は、空間のないこと。

ふたつ目は、“今”に囚われていないこと。

要するに“今、此処”という、時間や空間といった概念から解き放たれている。それなのに成立している“場”であるということです。


“ひそひそ荘”には物理的な実体がない。けれども住居の体をなし、交流が行われている。そしてそれは“文字“によってのみ存在している。

つまり、文字が一つの時空間を生み出すことに成功した例です。これはおそらく文字の持つ特殊性と、燦然と輝く人間の文化の結晶であるようにも思われました。


文字は特殊です。ヒトだけが持ちます。

ヒトの持つ性質には、保守性と革新性があります。保守性に属する代表的なものは“繁殖”、革新性に属する代表的なものは“進化”等になります。

ヒトは脳の発達と共に鳴き声を進化させ、音声言語を手に入れました。鳴き声は他の霊長類や動物でも使用されていますが、ここまで明確かつ複雑な音声言語は、ヒトが持つ特権の一つであると言えましょう。


さらにその先には文字言語があります。

例えば、江戸時代の日本の識字率は、江戸に限ったとしても70%ほどありました。逆にいうと首都でも3割は読み書きができない。地方なら尚更です。この時代の日本の識字率は世界的にみても群を抜いて高く、その特殊性が浮き彫りになっています。

すなわち、世界的、歴史的に“話せるけど読み書きできない”という状態の方が一般的であり、そこからも音声言語の先に文字言語が存在するのだということが伺えます。


こうした“文字言語”が生じて以降、ヒトは“現在”や“現在地”から解き放たれた活動を行うことができるようになりました。

今現在は存在していない未来を想定し、予測する。実体のない概念を作り出す。

文字がもたらすものは、世間が思うよりもすごく大きい。


ヒト以外の生き物において、身体のあるところに心は存在しますが、身体のないところに心は存在しません。文字を持たなければ、実体が前提条件になります。

ただ、文字を持つことで“実体“はないけれども“存在“し、交流をするという例外を作り出すことができます。

近いものですと“祈り”や“畏れ”もそうかもしれません。これらは既存の生き物が持つ現在性からは解き放たれ、概念のみで存在することができます。

“ひそひそ荘”もそれに類するものなのでは、と思います。

そして、各々の暮らしの中から出てくる自由さがそれにどう影響してくるのかも、面白そうだなぁと思えて仕方ありません。

皆様が作り出している、実態はないけれども文字により存在する面白い場。私の思う“私から見たひそひそ荘”です。

ヒトの文化の先っちょにあります。


書いてみてから自分こんなこと考えてるんやなと思いましたし、外から見たひそひそ荘という本旨に沿っていない気もしてきましたが、許してくださいね。

今後はもうちょっとラフに書けたらいいな〜。

どうぞよろしくお願いします。


なのるなもない