こんにちは、ハザマです。
先日、用事があって外出したついでに普段しない1人外食をすることにして、(私の中で)人と場をかなり選ぶのでなかなか食べられない蕎麦にしました。家で茹ででもなんかあんまりなんですよね。私のスキル不足なんでしょうが。あと多分そのときよりもっと進歩してる気がする、乾麺も。おいしいと聞くめんつゆも気になるし、今度改めてやろう。
そんなことはいいんですよ。
そばを食べながら「うめ〜そば大好き〜というのもじいちゃんがそば好きで自分で打ってて……じいちゃん!?!?」と急激にここのことを思い出した。慌てて見返す。まあ、書いてないね。芋の話して満足しちゃってたよ。
そばが一番好きまであるよじいちゃん。いやなんだろう当たり前すぎて忘れてたというか……あるじゃないですかそういうの。
じいちゃんは趣味でたまにそばを打っていて私はそれを食べるのはもちろん、手伝うのも好きだった。伸ばした生地をね、干し芋くらいにして(茨城県民感)、製麺機におろしながらハンドルを回すとニュルニュル麺が出てきて楽しいんですよ。
私が好きなのを知ってか知らずか、よくやらせてくれたように思う。ガキンチョはそうやって楽しいとこだけやりたがるけど、大人になった今なら「楽しいならよかったな、いくらでもやれ」という気持ちもわかる。
余談だがじいちゃんは「そばをぶつ」と言っていたので「そばって……打つだな……」と大人になって気づいた。
今では親父がそばを打っている。ここ数年で急にやり始めて、私の昔の同級生の父親と一緒にやったりもしたらしい。そんなことあるんだ。
そんなわけで祖父が元気なうちは祖父お手製だった年越しそばが、数年の空白期間(出来合い)を挟み父お手製のそばになった。
私も老人になったらそばを打ちたい。別に老人にならなくてもできるんだけど。仕事をする時間が減った先にある気がするんだよな。
「あ、そばのこと忘れてた」で終わってもいいこの話をなぜわざわざ書きに来たかというと、今日が亡き祖父の誕生日だからである。祖父の一周忌?(忘れてんのかい)でお坊さんが言っていた「亡くなった方のために生きている我々ができることは思い出すこと、物やお金がなくてもいい、こういう区切りじゃなくてもいつでもできる、でも忙しい現代だからこういう機会を設けてそういう時間を作るというのも大事です」という言葉をよく思い出す。